まくり屋よっちゃんの株日記

株式投資や人生の雑感を記します。

何かをやっていないと気が済まない人々

自分はつい最近まで老人介護施設の介護職員をやっていたのだが、
一番困る利用者は常に何かをやっていないと気が済まない人達であった。


「出来ることは自分でやる」という介護の理念があるので
掃除とか洗濯物畳み等の意味のある活動が出来る人には積極的にやって頂く。
困るのは、認知症が進んでしまって意味のある活動が出来なくなったにも
かかわらず常に何かをやってないと気が済まない人達であり、
そういう人達を放っておくと他人の物を盗み、他人の部屋に侵入し、
非常ベルを押し、暴言暴力をはたらき、大便を壁に塗りたくり、施設の外に
飛び出す等々、職員側から見ると嫌がらせの限りを尽くしてくれるのである。


介護職の仕事をよく知らない人は下の世話が介護で一番大変な仕事だと
思っているが、対利用者で一番大変な仕事(対職員、対経営者、対家族の
仕事のほうがしんどい)は「意味のある行動を行う能力が喪失してしまったにも
かかわらず常に何かをしてないと気が済まない人の相手をすること」である。
その属性の人達は何故かショートスリーパーが多く、夜中も徘徊を繰り返し、
ざっと1日20時間は手を焼かせる。完全に寝たきりの要介護5の人に対する
介護行為は1日110分が目安なのでどれだけ段違いに手がかかるかわかるだろう。


介護職員は口にこそ出さないものの、その属性の老人を呪いながら日々業務を
遂行するのであるが、では我々はその属性の老人と全然異なる存在だろうかと
考えるとほぼ似たような存在だと言える。


暇さえあればスマホをいじっている若者も何かをやっていないと気が済まない人
であり、仕事が我が人生とキリッと宣言しているおっさんも何かをやっていないと
気が済まない人であり、日がな一日パソコンの前で過ごすニートも何かをやって
いないと気が済まない人であり、毎日理由をつけてポジションを変更する個人
投資家も何かをやっていないと気が済まない人である。そして、それらの人の
行動は全く意味がないか、自他にとって有害な行動である。


この世の中は、何かをやっていないと気が済まない病人の集合体である。
だから、何かをやっている人は何もやらない人よりも優れていると無条件に
決めてかかる。恐ろしいことに、行動の内容は殆ど吟味されない。
我々は虚しさを感じながらも意味のない行動がやめられない。
意味のない行動が礼賛される世の中で違和感を感じつつ意味のない行動を重ねて、
阿呆みたいに死んでいくのが標準的な人間の姿である。


その阿呆みたいな人生からの解脱を説くのが宗教の役割なのであろう。
が、自分は今のところ特定の宗教を信仰する気にもなれない。
自分の得た認識を少しだけ株式投資に活かしているだけだ。
短期間で株のポジションを変更することはボケ老人的な行為だと断じて
握力を高めるように努めており、ここ1年半くらい同じポジションを握ったままでいる。