まくり屋よっちゃんの株日記

株式投資や人生の雑感を記します。

小型株長期投資は運

個人投資家が資金を溶かす王道パターンは個別株投資から
先物やオプションやFXに移行するパターンである。
先物やオプションやFXで得た資金を個別株投資で溶かすパターンは聞いたことがない。


何故そうなるかというと、先物やオプションやFXは個別株投資よりも
手っ取り早く儲かる可能性がある反面、難易度が高いからである。
何故難易度が高いかというと、株価指数とか通貨というものは世界中の頭の良い投機家が
常に注視していて個人投資家が彼らに対して優位性を持つことが無理だからである。


では個別株ならばそういった頭が良い連中と競合しないで楽勝できるかといえば
大型株にはもれなくアナリストが張り付いており、逐一レポートやレーティング
に情報が織り込まれていくので、株価指数や通貨よりはマシとはいえど、
個人投資家がプロに対して優位性を持つ余地は乏しい。


以上のような理由で、個人投資家は小型株に集中投資している人が多い。
アナリストがフォローしておらず、機関投資家も相手にしない小型株なら
素人vs素人の戦いとなり、相対的に素人の中で強ければ優位性が持てるのだ。


また、小型株は値動きが軽いので想定外の成長を果たすと大きく値上がりする。
小型株で当てると資金は容易に数倍になり、また別の小型株に乗り換えてそれも
当たりということを繰り返すと資金はあっという間に数十倍になる。


メディアに登場してくる「資産○億の個人投資家」の過半数はそんな感じだ。
意地の悪い人は「彼らの成功は運が良かったに過ぎない」と言うが、
その通り、彼らは運が良くて次から次へと大魚が釣れたのである。
しかし、一方で彼らは魚が釣りやすい場所に釣り糸を垂らし、
釣れるまで待つ忍耐力があったからこそ、大魚が何匹も釣れたのである。


資産が9桁ないうちは、素人同士の戦いに勝つことだけに専念すれば
「運が良ければ」個人投資家の上位3%くらいには入れるだろう。





何かをやっていないと気が済まない人々

自分はつい最近まで老人介護施設の介護職員をやっていたのだが、
一番困る利用者は常に何かをやっていないと気が済まない人達であった。


「出来ることは自分でやる」という介護の理念があるので
掃除とか洗濯物畳み等の意味のある活動が出来る人には積極的にやって頂く。
困るのは、認知症が進んでしまって意味のある活動が出来なくなったにも
かかわらず常に何かをやってないと気が済まない人達であり、
そういう人達を放っておくと他人の物を盗み、他人の部屋に侵入し、
非常ベルを押し、暴言暴力をはたらき、大便を壁に塗りたくり、施設の外に
飛び出す等々、職員側から見ると嫌がらせの限りを尽くしてくれるのである。


介護職の仕事をよく知らない人は下の世話が介護で一番大変な仕事だと
思っているが、対利用者で一番大変な仕事(対職員、対経営者、対家族の
仕事のほうがしんどい)は「意味のある行動を行う能力が喪失してしまったにも
かかわらず常に何かをしてないと気が済まない人の相手をすること」である。
その属性の人達は何故かショートスリーパーが多く、夜中も徘徊を繰り返し、
ざっと1日20時間は手を焼かせる。完全に寝たきりの要介護5の人に対する
介護行為は1日110分が目安なのでどれだけ段違いに手がかかるかわかるだろう。


介護職員は口にこそ出さないものの、その属性の老人を呪いながら日々業務を
遂行するのであるが、では我々はその属性の老人と全然異なる存在だろうかと
考えるとほぼ似たような存在だと言える。


暇さえあればスマホをいじっている若者も何かをやっていないと気が済まない人
であり、仕事が我が人生とキリッと宣言しているおっさんも何かをやっていないと
気が済まない人であり、日がな一日パソコンの前で過ごすニートも何かをやって
いないと気が済まない人であり、毎日理由をつけてポジションを変更する個人
投資家も何かをやっていないと気が済まない人である。そして、それらの人の
行動は全く意味がないか、自他にとって有害な行動である。


この世の中は、何かをやっていないと気が済まない病人の集合体である。
だから、何かをやっている人は何もやらない人よりも優れていると無条件に
決めてかかる。恐ろしいことに、行動の内容は殆ど吟味されない。
我々は虚しさを感じながらも意味のない行動がやめられない。
意味のない行動が礼賛される世の中で違和感を感じつつ意味のない行動を重ねて、
阿呆みたいに死んでいくのが標準的な人間の姿である。


その阿呆みたいな人生からの解脱を説くのが宗教の役割なのであろう。
が、自分は今のところ特定の宗教を信仰する気にもなれない。
自分の得た認識を少しだけ株式投資に活かしているだけだ。
短期間で株のポジションを変更することはボケ老人的な行為だと断じて
握力を高めるように努めており、ここ1年半くらい同じポジションを握ったままでいる。

株と刺激

近所のパチンコ屋は車道に面するところに幟を掲げていて、
その幟には「退屈をぶっ飛ばせ!」と大書してある。
パチンコを打つような人間は概して人生に退屈していて、
安易な刺激を求めてパチンコやスロットの台の前に座り、
音や電気から与えられる刺激と引き換えに店にお金を置いていくのだから
すごく的を射たセールスコピーだと感心している。


株式市場の参加者もパチンコ屋の客よりも多少知的な言語を弄しているだけで、
常に退屈していて常に刺激を求めているという意味で
パチンコ屋に来る客と大差はない。
その証拠に大半の個人投資家は
「これはお金を儲けるための合理的な投資行動である」と言い訳しながら、
刺激を求めて儲かりもしない売買を日々繰り返している。


当たり前のことだが、株には売買手数料というものがあり、動くたびに金を失う。
流動性が乏しい銘柄だとaskとbidの差があって思うような価格で売買できない。
株式市場は何をするにしても、まずお金を失い、然る後に自分の思惑通りの方向に
相場が動いてくれたときにはじめてマイナスからプラスに浮上できるという
参加者にとって著しく不利な仕組みが構築されている場所である。
換言すれば、株式市場は動けば動くほど負ける可能性が高くなる場所なのだ。


何らかの「聖杯」を掌中にしており、施行回数が増えれば増えるほど
自分が求める期待利回りに近づく手法があるならば、どんどん売買すればいい。
しかし、「自分は売買すればするほど儲かる確固たるシステムを持っている」
と断言できないのであれば、毎日のように株を売買することは
お金を儲けることを目的とする合理的な行動ではなく、
つまらない人生から逃れるために刺激を求めて「適当売買」を行っているに過ぎない。
刺激を求めて「適当売買」をすれば、退屈から逃れてパチンコ屋に飛び込んだ客
と同じく、相場にお金を置いてきて素寒貧になるだけだ。


長期投資が良いか、短期投機が良いかという時間軸の問題。
順張りが良いか、逆張りが良いかというタイミングの問題。
集中投資が良いか、分散投資が良いかという問題。
ファンダメンタルズを重視するか、チャートを重視するかという問題。
定量分析を重視するか、定性分析を重視するかという問題。


極論すれば、株で儲けるために上記の勉強なんかいらない。
それよりも「退屈から逃れるために『適当売買』をしない」
というルールを徹底するべきだ。
そのルールが徹底されていなければ、「適当売買」を繰り返して
いつかみずからの手で口座を壊滅させてしまうからである。


株式投資をつまらない人生を面白くするための手段としてはいけない。
ただ単にお金を増やす手段であると割り切ることだ。